あんこの自由気ままにブログ

元トリマーでただいま育児真っ最中なあんこが自由気ままに綴っていきます。

あの日から5年・・・

今日の3月11日で、東日本大震災が起きてから丸5年が経ちました。

 

5年たった今も震災の傷は癒えることなく、

 

まだたくさんの課題を残したままです。

 

 

あの日、わたしは仕事中でした。

 

中学校からの体験学習として毎年生徒さんがペットショップの

 

お仕事を体験しにきてくれる時期で、

 

その日もわたしは中学生と一緒にわんちゃんを

 

洗ったり、爪を切ったり、わんちゃんのお部屋の掃除をしたり

 

していました。

 

 

お昼休憩も終わり、わんちゃんのお手入れの続きをしようと

 

わんちゃんをブローしているときでした。

 

カタカタと揺れたと思うと、グラグラと大きな揺れに変わりました。

 

地震だと思い、その場で静止、様子を見ていると

 

揺れが一向に収まらない。

 

これはまずいと思い、中学生を連れて外に出ました。

 

上から物が落ちてくる心配のないところまでいき、座り込むと

 

さらに揺れの強さが増しました。

 

店内の商品は次々に揺れ落ち、最後までお客様がいないか

 

確認をしていた副店長もまっすぐ歩けない状態、

 

犬たちも怯え、わたしが抱えていたわんちゃんはおしっこをしてしまう始末。

 

「これはやばい」

 

そう思いました。

 

揺れはどのくらい続いたのでしょうか?

 

時間にして数分、いや1分だったかもしれません。

 

でもあのときの1分はものすごく長く感じました。

 

 

 

やっとのことで揺れが収まり、落ち着きを取り戻したので

 

とりあえず中学校に連絡、そして学生を帰らせました。

 

携帯で地震情報をみると震源地は東北

 

「こんなに離れているのにここまで揺れが大きいとはね」

 

と従業員みんなで話していました。

 

津波の心配があったので、情報をみてみましたが、

 

どうやらこちらは大丈夫な様子。

 

一息してみんなで商品を棚に戻す作業、

 

お手入れやトリミングが途中だった子たちの作業の再開。

 

もちろんテレビは仕事場にないので、

 

携帯の地震情報だけをみて、特になにかあると思うはずもなく、

 

働いていました。

 

 

そんな中、休みだった店長からお店へ1本の電話が。

 

出先からの電話で、何事かと聞くと、地震は大丈夫だったかとのこと。

 

中学生を帰したことと、お店は大丈夫だということを伝えると、

 

とりあえず今からお店に行くとのこと。

 

約1時間後、店長が店に入ってきて一言、

 

「おまえらニュースはみたか」と。

 

お店にテレビはないので、見れるはずもなく。

 

「東北が大変なことになっている。」

 

「とにかく今日はもう店を閉めよう。」

 

「営業している場合じゃない。」

 

「トリミングもこの後の予約はキャンセルしてもらう。」

 

そんなに大変なことになっていたのかと従業員みんなで呆然。

 

とにかく予約していただいていた飼い主さんには連絡、そしてお迎えの

 

来ていない飼い主さんへのお迎えの連絡、

 

そして閉店作業をして夜18時ごろに

 

帰宅しようとするも、電車が動いていない。

 

バスはなんとか動いていたので、バスで帰れる人は帰宅、

 

電車通勤の人はどうしようと困っていると、

 

店近くに家のある店長がうちに来いと言ってくださり、

 

遠慮なくお邪魔することに。

 

 

そこでやっと今日本がどういう状況にいるかというのが

 

わかることになりました。

 

 

お腹の空いた私たちに奥さんがご飯を作ってくれ、

 

その間わたしたちはニュースを見ていました。

 

すると見るも無残な光景。

 

福島に津波が押し寄せる映像がずっと流れていました。

 

行方不明者も、時間を追うごとにどんどん増えていく。

 

これは、ものすごい被害だと改めて実感しました。

 

どうにか状況についていけるようになったころ、

 

当時付き合っていた今の旦那さんが仕事場から

 

なんとか帰宅、その足で迎えに来てくれました。

 

他の従業員も親や夫が迎えに来てくれ、

 

無事帰ることができました。

 

 

帰宅すると、家周辺は停電しており、

 

電気もつかず、お風呂も入れない状態。

 

唯一ガスコンロが使えたので、

 

湯たんぽを取り出してそれで暖を取りました。

 

 

この日のことは、5年たった今でも鮮明に覚えています。

 

その後も原子力発電所の事故、それによる

 

放射線物質の漏れ、汚染、計画停電

 

今でもその被害は続き、

 

追いつかない除染作業、原発のあり方、

 

復興への予算金、被災者へのケアなど、

 

まだまだ問題は山積みです。

 

私が住んでいた場所は偶然にも地震の影響は少なく、

 

停電ほどで済みましたが、福島や岩手、栃木、茨城など

 

被災された方は今もどんなに傷つき、悔やまれ、大変な思いをしているか

 

と思うと、目頭が熱くなります。

 

 

一刻も早い回復、復興を心から祈り、できるかぎり協力し、

 

支援していきたいと思います。

 

 

この震災は、阪神淡路大震災と同じく、後世に語り継がれていくべき出来事であり、

 

これからまだまだ解決に時間のかかることです。

 

わたしは、あの日のことを忘れることなく、娘に、いずれ生まれるであろう孫に

 

話そうと思います。

 

 

どうか被災された皆様に少しでも笑顔を取り戻せる日が来ることを願うとともに

 

亡くなられた皆様にご冥福をお祈り申し上げます。